■クレーム
受渡しにおける異議申請のこと。買い方が取引所に対し、受渡品について品質・量目その他につき、故障の申立をすることをいう。
不動産に起こった大規模な戦乱である前九年の役、後三年の役に関する説話を収録しようとした形跡が見られる(説話名のみ残されており、本文は伝わっていない)事から、1120年代以降の成立であることが推測されている。一方、『今昔物語集』が他の資料で見られるようになるのは1449年のことである。
成立時期はこの1120年代〜1449年の間ということになるが、保元の乱、平治の乱、治承・寿永の内乱など、12世紀半ば以降の年代に生きた人ならば驚天動地の重大事だったはずの歴史的事件を背景とする説話がいっさい収録されていないことから、上限の1120年代からあまり遠くない白河法皇・鳥羽法皇による院政期に成立したものと見られている。
このため、
FX
は編纂後約300年間にわたって死蔵状態だったと考えられている。
作者
作者についてはっきり誰が書いたものであるかは分かっていない。『今昔物語集』を『宇治大納言物語』を改訂増補強したものと考える場合、作者は宇治大納言源隆国と考えられる。だが、その説はほぼ否定されている。他にも、南都北嶺といったところに所属していた僧侶が作者という説がある。また、この説についても一介の僧侶が個人的な理由で書いたのか、またはその時代の天皇である白河天皇の庇護下にあった何名かの僧侶によって書かれたのかなど様々分かれている。奇説としては『俊頼髄脳』を著した源俊頼とする説もある。
だが、どの説も想像の範囲を超えず決定打に欠けている。
伝本
FXに所蔵されている、鈴鹿家旧蔵本(国宝)通称「鈴鹿本」が最古の伝本である。ただし鈴鹿本は一部の巻のみを伝えるにとどまる。紙の年代が成立時期に重なることから、これが『今昔物語集』として最初に書かれた原本そのものである可能性もある。その他の本は鈴鹿本から書写され、流布されていったものだと考えられている。
形式
天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の3つに分かれ、それぞれ先に仏教説話(因果応報譚を含む)、あとに仏教説話以外の説話を並べる構成になっている。各部の先頭はおおよそ年代的に最初の説話で始められている。
原則として各話は「今昔」(今ハ昔)という書き出しで始められ、「トナム語リ伝エタルトヤ」で結ばれ終わる(一部例外あり)。なお近世以前は「こんじゃくものがたり」とは読まず、「いまはむかしのものがたり」と読まれていたらしい。
似た話が2つ(ときに3つ)並べて配置されている(2話一類様式)。
原話
先物取引の話はすべて創作ではなく、他の本からの引き写しであると考えられている。元となった本は『日本霊異記』、『三宝絵』、『本朝法華験記』などが挙げられる。また、平安時代の最初の仮名の物語といわれる『竹取物語』なども取り込まれている。
本朝世俗部の話には典拠の明らかでない説話も多く含まれる。伝聞資料に基づき構成されたものがあったかもしれない。
文体
原文(鈴鹿本)は平易な漢字仮名交じり文(和漢混淆文)(ただし、ひらがなではなくカタカナである)で書かれ、その文体はあまり修辞に凝らないものである。そのため、古文としては比較的読みやすい部類に入る。一方、擬態語の多様などにより、臨場感を備える。芥川龍之介は「美しいなまなましさ」「野蛮に輝いている」と評している。話のテンポも軽妙で口語といった語りもふんだんに用いられ、典型的な平安文学とは一線を画している仕様になっている。
極力、どの地域の、何という人の話かということを明記する方針で書かれ、それらが明らかでない場合には意識的な空欄を設け、他日の補充を期す形で文章が構成されている。例えば、典拠となった文献で「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」という書き出しから始まる説話があり、その人名が具体的には伝わっていない場合であっても、その話を『今昔物語集』に収録する際には「今ハ昔、 ノ国ニ トイフ人アリケリ」との形で記述され、後日それらの情報が明らかになった場合には直ちに加筆できる仕様になっている。このような編纂意図から発生した意識的な欠落部分が非常に多いのが、本説話集の大きな特徴である。
FXは、諸説あるが、明和5年から安永5年の間にかかれ(→#出版経緯)、安永5年4月(1776年)に、京都寺町通の梅村判兵衛と大阪高麗橋筋の野村長兵衛の合同で出版された。全五巻、九篇の構成であった。挿絵は、当作品へ大いに影響を与えた都賀庭鐘『繁野話』と同じ、桂宗信が担当した。各篇に一枚ずつ、中篇の「蛇性の婬」だけには、二枚の絵が載っている。
『雨月物語』は「剪枝畸人」名義で刊行され、作者は上田秋成であろう、と分かってきたのは、彼の死後のことである[2]。また、当時の売行きは極普通のものであり、今のように、人気、評価に不動の地位を確立していた、というわけではないことが推測されている[3]。
文学史上の位置づけとしては、『雨月物語』は建部綾足の『西山物語』などと同じ、元禄期と化政期の間、安永・天明文化期の、流行が浮世草子から転換しつつあった初期読本にあたる。後世には、山東京伝や曲亭馬琴へ、強い影響を与えた[4]。
内容は、中国の白話小説の翻案によるところが大きい。しかし、それをもって盗作あるいは剽窃と考えることはあやまりである。秋成は丁度和歌における本歌取りの技法のように、当時でも古典であったものを踏まえつつ、和文調を交えた流麗な文を編み、日本の要素や独自の部分を混ぜ、思想を加えるなど、原話を超えたものに仕上げていることに注目すべきだろう。
各篇
各篇の並び順は以下の通りだが、これは深い考えのあってのものだ、という説を、高田衛は提唱している。つまり、前の作品の一部要素が、次の作品の内容と結びついていて、円環をなしている、ということである[5]。
白峯(しらみね) - 西行が讃岐国にある在俗時代の主崇徳院の陵墓、白峯陵に参拝したおり、崇徳上皇の亡霊と対面し、論争する。巻之一収録。(→#白峯)
菊花の約(きくくわのちぎり) - 親友との再会の約束を守るため、約束の日の夜、自刃した男が幽霊となって現れる。巻之二収録。(→#菊花の約)
浅茅が宿(あさぢがやど) - 戦乱の世、一旗あげるため妻と別れて故郷を立ち京に行った男が、七年後に幽霊となった妻と再会する。巻之二収録。(→#浅茅が宿)
夢応の鯉魚(むおうのりぎよ) - 昏睡状態にある僧侶が夢の中で鯉になって泳ぎまわる。巻之三収録。(→#夢応の鯉魚)
仏法僧(ぶつぽうそう) - 旅の親子が、高野山で、怨霊となった豊臣秀次の一行の宴に会い、怖い思いをする。巻之三収録。(→#仏法僧)
吉備津の釜(きびつのかま) - 色好みの夫に浮気され、裏切られた妻が、夫を祟り殺す。巻之三収録。(→#吉備津の釜)
蛇性の婬(じやせいのいん) - 男が蛇の化身である女につきまとわれるが、最後は道成寺の僧侶に退治される。巻之四収録。(→#蛇性の婬)
青頭巾(あをづきん) - 稚児に迷い鬼と化した僧侶を、旅の僧である快庵禅師が解脱へと導く。巻之五収録。(→#青頭巾)
貧福論(ひんぷくろん) - 金を大事にする武士、岡左内の寝床に金銭の精が小人の翁となって現れ、金とそれを使う主人との関係を説く。巻之五収録。(→#貧富論)
出版経緯
上田秋成は、明和3年(1766年)、処女作である『諸道聴耳世間猿』(『諸道聴耳世間狙』)を、明和4年に、浮世草子の『世間妾形気』を書いた。そして、『雨月物語』の序をみるとそこには、「明和戊子晩春」、つまり明和5年晩春に『雨月物語』の執筆が終っていることになる。しかし実際に『雨月物語』が刊行されたのは、その8年後の安永5年(1776年)のことであった。
ここに、『雨月物語』成立の謎がある。つまり、『雨月物語』は本当に序にあるように明和5年に成立したのだろうか、刊行までの8年という長い間には、どういう意味があるのだろうか、というものである。山口剛の研究以来、重友毅、中村幸彦と、明和5年を一応の脱稿、それからの8年間は、『雨月物語』の推敲に費やされた、という見方が強かった。それまでの『世間猿』『妾形気』の二作品は、浮世草子に属していた。そして『妾』の末尾の近刊予告を見ると、『諸国廻船便』と『西行はなし 歌枕染風呂敷』の二作品が並べられており、まだ秋成に浮世草子を書く気、予定があったことが見えることも、この論を裏付けている。